RMSの「自由なソフトウェア」をもじって 「自由なコンテンツ」という言葉を考えてみた。 (僕が最初というわけではないのだけれど)
コンテンツを入手した人は 実行、複製、頒布、研究、変更、そして改良する自由をも同時に入手することができる。 (参考: フリーソフトウェアの定義)
自由なコンテンツであることを示すには、例えばCCを使う。
自由なコンテンツが山ほどあれば、今話題の(←そうか?)コンテンツ配信で、 何を配信するのかという問題が一気に片づく。 FLASHやネットラジオなどで使うのも容易になる。
企業を巻き込んで商業的なコンテンツを流すより先に、 アマチュアリズムによる作品を流した方がいいのではないか、と思うのだ。
ところが、そんなにうまくいかないのである。 肝心の画像や音楽を作っている人たちが、 自由なコンテンツを作ることに興味を持っていないようなのだ。
以前、同人寄りの人に訊いてみたことがある。 ソフトウェアの世界にはオープンソースというものがあるが、 同人誌の世界にはそういう習慣がないように見える。 何故なのか? と。
第三者に作品を利用されるのが嫌だ。 その感情は当然すぎて、言葉では説明できない。 ということらしい。
僕のようなオープンソース寄りの立場では、なかなか理解できないところである。
彼らが自由なコンテンツを作るようになるのを、 技術的な立場から後押しすることはできるのだろうか。
インフラを管理する立場からはできそうだ。 「このアップローダには、これこれの条件を満たしたものだけを登録できます」 とか。