規則とか倫理とかいうのは、 規則のための規則、倫理のための倫理となってしまう恐れがあって、 そうならないためには、 本能だとか、物理法則だとか、 人間の力ではどうしようもないものと照し合わせていく必要があると思っている。 二酸化炭素を減らすために呼吸を止めろ、という規則を作ったとしても、 それは「人間の力ではどうしようもないもの」に反していて、やっぱり無理。 それぞれを倫理と本能に代表させると、 本能が正しくて、倫理はその範囲内でしか動けず、 本能を逸脱した倫理は駄目という、そういう感覚ですね。
じゃあ本能は正しいのかというと、 正しいには正しいのだけど、正しいからといって「よい」とは限らないというか、 別基準によって、本能を全面的に肯定するのはまずいという場合もあるんですね。
道徳的にちょっとでもキズがあると、 もう「世間に顔むけできない」みたいな感性こそどうにかしてほしいよ。 当事者でも何でもない上に文化財に関心があるわけでもなさそう人が、 なんでここまで怒らなきゃいけないのか。 規範をちょっとでも踏み外した人は、安心して叩けるとでも思ってるのか。
これは日本に限ったことでも、今に始まったことでもないと思っていて、
2000年前にイエス・キリストが
あなた方の間で罪のない者が,この女に向かって最初に石を投げなさい
(ヨハネによる福音書)
とか言ってるのであって、
やっぱり自分のことは棚に上げて人のことを叩いてるんですね。
んで、こっちも有名な
裁いてはいけない,そうすれば裁かれないだろう。
(ルカによる福音書)
なんですが、
本能優先で、
あとは規則は公平であるべきだ(このあたりちょっとズルした議論だけど)という前提だと
「裁いてもいいよ。その代わり自分も裁かれる可能性があるけど、仕方ないよね」
となるのかな、と。
それは「正しい」のかもしれないけど、
住みやすいかというと、そうではないと思っていて、
だとしたら本能を倫理で抑えこむ局面になるわけだけど、
その根拠となる倫理の正しさは、何によって保証されるのかなあ、
とか考えているわけです。
通常の場合であれば、 正しい倫理なのか、 倫理のための倫理なのかは、 本能に照らして、本能を根拠にして正しさを決められるはずだ、としたわけで、 ならばその本能と対立するときの倫理は間違った倫理になるのだけど、 でもこの場合は倫理を優先した方がよさそうだ、という状態です。
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