福冨諭の福冨論

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「二力の合成」の解釈と、そのほかいろいろ

前回の記事から時間が経ちすぎた。そんなうちに2011年から1ヶ月に1~2回参加していた稽古会が活動を休止してしまった。計算したら1/2以上の割合で参加していたので、常連と名乗ってもバチは当たらないだろう。子供を嫁に任せて外出してたわけだから、もうちょっと子供が大きくなって2人で参加できるくらいになるまでは我慢しておけという縁だろうと思っておく。

杖術で速く動こうとしたときの限界はあちこちにあるけど、ゆっくり動こうとしたときの限界は、体の倒れ込みの制御だと思う。足を上げる→体が倒れ始める→倒れ過ぎないうちに足を下ろす、みたいな動きを考えると、特に制御しなければ、足を上げていられる時間は重力とかそういうので決まってきて変えられない。ので、軸足側の膝を抜いたりしてなんとかバランスを取る。基準は腰の傾きを(少なくとも感覚上では)変えないことと、脚の筋肉に負担がかからないようにすること。倒れ込みに追いつこうとして体のあちこちがバタバタしていたのが、ゆっくりになると解消され、納得できる感じになる。

歩くときに頭の高さを変えないようにしよう、というのはあまり意味がないと思った。普段頭は上下しているし、視覚そのほかでその上下動を補正しているので、上下動が少なくなると逆に頭が動いているように感じる。

腰というか背中を反ることが重要。例えば子供をだっこしても、重さを支えることができる。今まではどうしても猫背気味になっていたので辛かった。似た話として、リュックを背負うときは、背中を丸めるのが必須だと思っていたが、背中は反らすくらいでちょうどよさそう。背中に当たるところが丸くなる、安いタイプのナップサックだと、背中が自然に反ることになって、あまり疲れないのかもしれない。

今までは足首を曲げることで重心を前に出すようなことをしていたが、爪先で体重を支えることで重心の移動を行うようにした。これは直接にはドアを押し開ける動きから来ているが、歩き出しであったり、そのほかいろいろのところに応用が効く。今まではこうやって爪先に体重がかかるのはよくないことで、足首を曲げることによって足裏全体に平均的に体重がかかるようにすべきだと思っていたのだけど、どうもそういうことでもないようだ。

それがきっかけで、これも2ヶ月以上試行錯誤しているが、歩き出しは片足を前に出すことを意識すれば、無意識に重心が前に出てくるようだと思っている。一般化できる話ではなく、そういう回路を体内に作ったということかもしれないが。

床から立ち上がるとき、片膝をついた姿勢から、片足を後ろに引き、半身になりながら立ち上がると楽だとわかった。無意識にやってた動きを観察したりとか、僕の持ってる居合のイメージを再現したりとかでできてきた動きなのだけど、足を引いているときは片足になっているのに、両足のときよりも楽という不思議。

こっちに行こうよと子供の手を引く。子供は嫌がってそっくり返って抵抗する。これを綱引き状態と個人的に呼んでるのだけど、危なっくて仕方ない。うっかり手を緩めたら後頭部が床に激突だし、ゆっくり倒していっても自分で顎を引かないから最後に後頭部がコツンと床にぶつかることがある。ので #体術 的な対応策を考えてきた。子供が対抗する前に手を引いて誘導すると、まあ一二歩くらいなら誘導できるので、それで充分なときはそうする。綱引き状態が完成する前なら、子供との位置関係をずらしたりして対抗できるけど、こちらに有利な位置、子供の力の入らない向きを追求していくと、意識せずに関節技の位置関係になりかねないので、この方式は封印することにした。綱引き状態が完成したら軟着陸させるくらいしか、今のところは手がない。最近試しているのは、綱引きになりかけたところで手を離さないように注意しながら、子供が引っ張る方向についていくことで、全力で引っ張ると危ないなというのを理解してもらおうとしている。

肩の動きもいくつか変わった。直接的なきっかけの1つは肘の使い方で、ドアを開けるとき、曲がるなりに肘を曲げ、力の入るところに持っていくというもの。肩も連動して引く感じになる。これはこれで有効な動きであるようにも思うし、相手が人間だったら引くところに付け込まれるような気もする。もう1つのきっかけは杖術の「影踏み」だが、これは後述する。

同様にドアの開閉がきっかけになったものに「二力の合成」という言葉の自分なりの解釈がある。もともとは「複数の関節がそれぞれこう動くので、合成した動きはこう」というようなものだろうと思っていたが、その解釈が変わった。複数の関節がそれぞれあって、合成した動きがある。それを2つ組み合わせるということ。例えば手を前に出す動き。これもよくみると全身のいろいろな関節を使っている。手を上に上げる動きも同様。この2つを同時に行うことで、手が斜め上に上がるというのが、二力の合成だと思う。同時に行うというのは自分自身にも錯覚を起こしているもので、実際にはそれぞれの動きから一部の動きを取り出して、それらを同時に行っているのだと思う。

ドアの動きとしては、手は横方向に動き、胴体が縦方向に動くことで回転を生み出すということ。手や胴体といっているが、それぞれの動きを取り出してみると全身の動きになっている。打撃の動きで考えると、拳は斜め下が突きやすいのでその方向に突き、肩というか背中というか胴体というか、その辺の動きで前方向や前斜め上の方向に持っていく。裏拳も斜め下に突く動きと、それを上に持っていく動きの合成。

杖術もいくつか細かい工夫がある。「影踏み」では肩の使い方をもっと極端に半身になるようにする。「ここで半身になる」というような説明を聞いて「それにしては腰があまり動いてないようですが」と質問して、そのときは謎が解けなかったのだけど、ここでいう半身になるというのは、肩を入れるとか、肩を引くとか、そういう肩の動きではないかと思う。それで動いてみると、ポーズとして自分のイメージに合う感じになる。また左右の半身の入れ替えもスムーズになる。手がその2倍くらいガチャガチャ動いているのが気にはなるのだが、「下三方」のように2倍の距離を動かすことで手数を減らしてみるとそれはそれで違和感あるし、体の動きが2ステップ(左足を出す→右足を引く)なのに対して手の動きが4ステップ(右手滑らす→左手滑らす→右手滑らす→左手滑らす)あるのは、それ自体は合ってそうに思える。これは継続して次の課題になるだろう。

同じく杖術の「下段抜き」だが、腰が痛くなって困るというのが前からあった。観察してみると猫背になっているが原因のようで、一つには「影踏み」のような肩の使い方で改善する。もう1つは爪先の向きで、「影踏み」は半身を差し替えるので足の向きも変わるのだが、「下段抜き」は体の方向が変わらないので、足も変わらない。無意識に「影踏み」のような動きでやっていたのが原因のようだ。