福冨諭の福冨論

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「切り手」と「末端から動く」

まずは「切り手」から。正式な定義は知らないのですが「合掌したときの手首の角度」と教わったのでその理解でいます。ニュートラル?な状態から、手の甲側に少し反らして、親指小指の傾きの方は親指側に少し曲げるのですが、どちらもついやりすぎてしまう場合があります。手の甲に反らすのは、切り手とは別にいっぱいまで反らす使い方もあるので、それはそれでいいんですけど、親指側に曲げすぎると手首が痛くなります。どちらかというと親指側に曲げる方がやりすぎやすいかなと思います。たぶん限界まで曲げるのと切り手の角度がわりあいに近いために混同してしまうのでしょうけど、もうひとつ一般的な傾向があるようで、限界まで曲げることによるストレッチ感を求めてしまうのかなと。腰を反らしすぎるのもそんな感じでやりすぎてしまうし、ちょうどいい角度は逆に手応えがなくて不安になるものだ、と教わったことがあります。手首の角度についても、確かにそういう傾向はあるようです。

切り手というくらいだから、包丁を使うのにこれが使えないかと思って試してみました。何日かかったのですが、子供の頃にテレビでみた和包丁の使い方のイメージに重なります。つまり左を前に出す真半身になり、人差し指を包丁の背に乗せて使います。まあこれで野菜がズバズバ切れるとか、そういうこともないんですけども。

自転車に乗るときにも切り手にします。今までは杖術の持ち方の1つを応用して掌で持つようにしてたけど、剣の持ち方の1つを応用して、指で引っ掛けるように持った方が相性はよさそう。

甲野先生の動きに「人間毬」というのがあって、これはDVDでみたけどよくわからなかったので放置してました。最近床から立ち上がるときや、地面にしゃがんだ状態から立ち上がるのに必要にかられて検討してたところ、人間毬とは全然別の動きなのだけど、けっこう便利な動きが出てきました。しゃがんだ状態から足を引き上げて、床にドンと落ちると、反射的に膝が伸びて立ち上がれるのです。この感覚はドアの開閉のときにも使えてたのだけど、しばらくたったらそういう応用面での詳細はわからなくなってしまいました。

ドアの開閉では主に肩の動きに注目していて、手がドアノブに当たった勢いを肩で吸収するとともに、胴体からの力が伝わるように角度を調整するというか、アソビを取るように使っているようです。考えてみると体術でも、相手の体も含めてアソビを取るような体勢を作ってから力を伝えるという面はあるかなと思います。小手先の技で逃げてる感じもあるし、小手先の技だと思い込んでいたけど実は重要な原理を意味してるのかなと思ったり、いろいろです。

重いザックを背負うときは、肩で肩紐を引っぱるようにすると、いい感じの前傾姿勢が作れそう。前掲姿勢になるのと腰を曲げるのはちょっと違ってて、腰まで曲げてしまうとか、猫背になるとかは、体への負担が大きそうです。

子供の手を引っぱるとき、全身を使うといえば確かにそうだけれども、足をエンジンにして、胴体や腕を紐のようにして引っぱっているのだなあと思いました。確かに全身が参加しているし、腕じゃないんだ胴体だ、みたいな認識もあったのだけど、やっぱり今一でした。胴体は基本動かさずに、腕だけで引っぱった方が効きます。というのが1つの気付き。そして腕で引っぱってるときは子供は付いて来ますが、引っぱるのをやめるとその場で止まるわけではなくて、バランスを回復して抵抗してきます。崩す技を使うなら崩し続けなければならない。これも1つの気付きです。

とはいえ腕で引っぱるのは距離的に限界があって、動きが終わってしまったら抵抗されるわけです。どうすればいいかというと、腕の動きを引き継ぐように歩いてしまうと、なぜか腕も動き続けているような感覚があり、子供もついてきます。これはちょっと不思議です。

過去教わったことを脳内で検索してみると、これは「末端から動く」原理に通じてそうだと思いました。そこでまず指を動かし、指の動きを引き継ぐように腕を動かし、同様に肩、脚ときて歩き出すと、指が動き続けているような感覚があります。感覚的にはこのように順番に動かしてますが、実際には指が動くときには既に腕が動いているようです。こっちは実用段階にはまだ達してない感じがします。

指と言ったけど、人体の末端だから指というわけでもない可能性があって、相手との接点と思った方がいいかもしれません。場合によっては掌だったり、手の甲だったり。拳を握るときは指っぽいです。動きを引き継ぐのをうまく使うと、空手の型みたいなので動作の間をうまく繋いでいくことができそうですが、これは今後の検討課題ですね。