福冨諭の福冨論

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ある種の恐怖を消す歩き方

先日3日連続で稽古会に参加することができた。今までの稽古の方向性は間違ってなかったなあ、みたいな確認もできたし、課題も見えてきた。

相手と向かい合うと当然恐い。向かい合うというのはちょっと限定的な話で、例えばすごく近くに寄ってから始まる稽古もあって、実はこれはそんなに恐くないし、そもそも向かい合っているという感じがあまりしない。互いに手を伸ばしても届かない距離、あるいは剣を持っていたらどれくらいになるんだろう、あまり意識してなかったけど剣を伸ばして相手の手に当たるかどうかという距離だった気がするし、互いに剣を伸ばしても届かないくらいの距離だったような気もするのだけども、そういった一応の安全圏から相手に近付いていこうとすると恐いという話。別にスパーリングをやろうというわけでもなく、技の手順を説明するからちょっと突いてきてよ、という程度の状況。

そうなると、覚悟を決めてエイヤって突っ込んでいくことになるわけで、普通に相手に捕捉されるし、それで技の説明にはなってるからそれはそれでいいんだけども、もうちょっとどうにかならないものか。

そこで、今まで習ったこととか見てきたことからいろいろ連想していく。

  • 上で書いちゃったけど相手との距離の話。これは何度も聞いたし今度の3日間でも聞いた
  • 合気道(から借りてきた)スタイルの手首を持ったり持たれたりの稽古がたぶん距離感と関係しているという話
  • 空手(だと思ってたけどもしかして中国武術スタイルかも)の近付いてきて突きを入れる一連の動き。これは何度も技をかけてもらったし、できるようになりたい技のひとつ
  • この近付き方ができないとこの空手スタイルの技でスパーリングはできない、というような説明を聞いたこととか、やり方を聞いたけど結局理解できなかったこととか

それで家の柱とかドアの枠とか(ある程度細くて垂直なものがよいようだ)を相手に見立てて近付いていくというのを試してみた。すると確かにある程度の距離になると恐い。敵意のない人間が恐いのだから柱が恐いのも当然かもしれない。その怖さを観察してみると、なぜ気付いたのかは自分自身でもよくわからないのだが、体のバランスのズレを怖さだと認識しているようなのだ。なのでバランスを調整していくと恐くなくなるし、因果関係がわかれば恐くないように体を使うというコントロールができるようになる。

想像するに、歩くためにバランスが崩れると、崩れたタイミングで攻撃されても防御できないとか、そういうのを無意識に感知して恐さに変換しているのではないだろうか。あるいは相手を突く動きの途中に攻撃されても防御できないとか。人によっては体の中心軸を傾けないようにして歩くとか言うかもしれないけど僕にはよくわからない。

体のバランスの変化を怖さという心理的なもので感じることができるのも面白いし、怖さを肉体的なところで解消できるのも面白い。

特に相手を想定せずに普通に歩きながら怖さを感じたり消したりということもできる。しかしブロック塀の角とかを使って相手を想定するともっと感度が上がる。クロックスもどきのサンダルで歩くと足元が定まらないせいか怖さを感じても消すことができなかった。慣れている靴の方がよい。

空手(から借りている)スタイルの型だとサンチンで怖さを消して前進したり反転したりする稽古ができる。左右の脚でやりやすさが違う。動かす方の足を引き上げるとか、軸足の膝を抜くとかで調整しているようだ。普通に歩くときは杖術の型がそうであるような股関節からの股の捻りが意識されるので、若干の違いがありそうだ。サンチンでこの方法で前進すると突きもスムーズに出せるので、どうなっているのかはわからないが手足に関連があるようだ。