福冨諭の福冨論

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ハッピーエンドな記憶

そうそう、 「そういえば高校のとき部活の部長やってたんだっけ」なんですが、 これは「月がでたでた月がでた - バッドエンドとハッピーエンド」とも関連する話なんですよ。 「顧問に部長辞めろと言われました」「後輩に部活から追い出されました」と書くと悲惨な話に聞こえるじゃないですか。 また、その悲惨さを強調するような編集もできるわけです。 ところが実際は楽しい記憶になっています。 なんでかなあ、と。

読者の立場としては 「本当はバッドエンドなのにハッピーエンドとして書いてるんじゃないの」 と疑うことはできますね。 あるいは「本当はバッドエンドなのに「これはハッピーエンドだ」と暗示をかけ続けて10年経ったらハッピーエンドの記憶になっていた」という可能性もあります。 「記憶など案外曖昧なもの」という解釈もできますね。 「辛さ・悲しみなど解釈次第。ポジティブシンキングで行こう!!」と解釈したい人はそうしてください。

元記事はリアルタイムで、 しかも故意にハッピーエンド化している話なので、 この記事はちょっと本筋から外れる話ではあるんですが、 もし、今バッドエンドをハッピーエンドとして文章化している人がいたとして、 10年くらい経って当時を思い出したとき、 その人の記憶がどうなってるんだろうな、ということには興味があります。

Original Article: http://blog.fuktommy.com/1175247793