福冨諭の福冨論

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「井桁本」再読

のここ数ヶ月のテーマが種明かしされてきて、自分なりの解釈では「ソの字立ちの合気道」から松聲館の井桁術理にアプローチすることだったと思ってるんだけど、そういう視点で井桁本こと「甦る古伝武術の術理」を読むと今までとは違った意味が取れるようになってきた。

「まわさない・捻じらない」というのが井桁術理のキャッチフレーズのように使われていたわけだけど、どうもここで言う「まわす」と「捻じる」は同じことを指していて、例えば腰を固定したまま右肩を前に出し左肩を後ろに引くと胴体が捻じれてくるわけだけども、これを「まわす」とも呼んでいるようだ。

正面の斬りの場合、正座から爪先を立てて手を前へ出そうとすると、肩がまわってきますね、この「まわり」をなくしたいのです。

(中略)

手を前へ出す時に、まぜ肩がまわってはいけないのかというと、上体が捻じれてくるからです。

(中略)

腰のキレというのは、ほとんどの場合、腰をまわすことで上体が捻じれることを指していますから。

p.20 より

ここでいう「まわす」は体の向きを変えるような動きは指していないようだ。ただし体の向きを変えるときに腰と肩が同期しなくて胴体が捻じれるようなのはよくないと考えるようだ。「体の向きを変えるときにまわさない」というのはたぶんそういうことだ。文字通り受け取るとまるで禅問答のようになってしまう。

下段籠手留という技をやっています。これは、半身から半身に変わる時に体をまわさないという稽古のために工夫しなおしたもので、(略)。参考までに昔の写真をここにもってきました。

なるほど。写真では体を捻じった形になっていますね。

p.164 より

数年前に「当時捻じるとか捻じらないと言ってたのは胴体のことだ」というツイートを読んだ覚えがあるが、「まわす」もこの「捻じる」と同じ意味だろう。

今から20年ほど前、「井桁崩しの原理」を提唱し、体を捻ることの問題をしきりに説いていたが、あの時からずっとこの名古屋での講習会の時まで、「捻らない」という事は体幹部においてのみ重要だと認識していた。

2014年3月のツイートより

胴体を捻じらない制約のもとで腕を動かすと、辻褄を合わせるために胴体の筋肉がいろいろ動くのだけど、このときの筋肉の緊張具合、主観的な表現に言い換えると「胴体の周辺で力が流れる感じ」を「井桁崩し」と呼んでいたのたと思う。

胴体を捻じらない状態にするために背骨に注目したのが「仙椎の軸を立てる」という要点のようだ。仙椎の軸を立てて維持する→胴体がねじれない状態が成立する→胴体の回りで力が井桁のように流れる感じがする、というロジックではないか。